「ファッション」という言葉は、狭い意味では「服飾」という意味で使われていますが、もともとは、流行しているマナーや行動など、より広い意味を含みます。それと同じように、「外見」といっても、服の問題だけでなく、あなた自身がどのような考え方、スタイルで目々を過ごしたいのかということと密接に関係してくるものと言えるでしょう。単に服装をどうするかだけでなく、これからの自分がどうなりたいのかという自分の生き方についても目標をはっきりさせることで、あなたの目指す「外見」に、より近づくことができるのではないでしょうか。例えば、会社で昇進したい、お客様の信頼を集めたい、人との交流を楽しくしたいなど、あなた自身の目的意識を持って「外見」を考えてみてください。そうすることで、視点が変わり、何をどうすればもっと効果的なのかが、自然に見えてくると思いますよ。
オーダー服を仕事にする友人と、百貨店の輸入服地売場を見た。既製服で済ませている私には縁のない売場だ。熱中している友人はシルクのコーナーからレースのところへ、次にコットンのところで何点か抱え、ウールのコーナーへ、かと思うともう一度シルクに引き返し一点見つけ、といった具合。ついて歩き回っていた私にも、そのうち彼女の熱中ぶりが伝わってしまう。このオーガンジーでブラウスを作ったら素敵そう、この水玉でスカートがいいわね、バニラ色のシルクはスーツかしら、と鏡に映してみたりする。黒地に白とブルー、茶の水玉が入ったウールモスリンの布地を腰に当てていたら、「それ、いいわよね、スカートに。私も欲しいと思っていたのよ」鏡の向こうで友人がいった。一着分でスカート二枚取れるから、二人で買って作りましょうか」四万五千円のイタリー製の布、二人で分ければ高くはない。スカートくらい自分で作れるわね、と一瞬迷ったものの、不細工な出来のスカートを前に戸惑っている自分を想像してやめた。友人に頼むことにする。オーダーといえば何年ぶりのことでしょう。二〇代のころ以来かもしれない。あの時代は気に入った既製服がなくて、洋裁を習いながら、自分のものを作りつつ、きちんとした服はオーダーをしていた。上等な服地を置いている洋裁店でのオーダーは、値段も張って贅沢な一着だ。そんなに何着も作れない。今はどちらも上手に選んで、気に入った服を探求する時代かもしれません。もう少し熱心に洋裁を続けていれば、服地代だけで自分だけの気に入った服が着られたのに。ま、ほとんど先生に頼ってばかりいた私、きっと才能もないはず。
スーツはまさに古くさい性役割のなかで鍛えられてきたという一面をもつ服なのである。スーツを着る男の隣ないし一歩ななめ前には(これが日本だと三歩うしろ?)、必ずその「男」のスーツにふさわしい役割とバランスをとるべく装った「女」がいた。両性の性役割がかけはなれればかけはなれるほど、装いのコントラストは大きくなる。コントラストが最大になったピークこそ十九世紀中期である。クリノリンで巨大に膨らませたスカートをはき、ゴージャスに装った女性のななめ後方には、影のように黒ずくめの男性が控えていた。すなわち、男、仕事して稼ぐ人。女、その金使って男の地位を対外的に誇示する人。右に挙げた四つの偏見は、近代市民社会の価値体系のなかで求められてきた「男」の役割のモデルでもある。いずれにせよ、スーツが半袖だったり半ズボンだったりすると、すなわち第一の皮膚が生々しくさらされていたりすると、変身効果も、ひいては「男」としての魅力(たとえそれが「近代」をひきずった古くさいものであれ)も激減することは間違いない。